認知症相談ナビ

認知症のご本人とご家族の笑顔と
生活を支えたい情報サイト

■監修者
順天堂大学大学院医学研究科 精神行動科学教授
新井 平伊 先生

ご本人の声

第1回 丹野 智文さん(おれんじドア代表)

※本コーナーのタイトルは丹野智文さんにいただきました。

【監修】武地 一 先生(藤田保健衛生大学病院 認知症・高齢診療科 教授)

丹野 智文さん

おれんじドア
-ご本人のためのもの忘れ総合相談窓口-
(宮城県仙台市)
丹野 智文さん

「3年前に認知症の診断を受けた時は、絶望と不安で押しつぶされそうでした」と語る丹野智文さん(42歳)。現在、もの忘れの不安を抱くご本人対象の相談窓口「おれんじドア」代表を務めています。目を輝かせながら笑顔で語る現在の姿からは、診断直後の丹野さんの姿はとても想像できません。丹野さんはどのようにして笑顔を取り戻すことができたのでしょうか。

●「早期絶望」からのスタート

 39歳の頃、大手自動車販売店で営業マンとして働いていましたが、自分のお客さんの顔が覚えられなくなったり、同僚の名前が出てこなくなったりしました。初めは「疲れているのかな」と思っていましたが、次第にそういった失敗が増えていったのです。不安を抱えてクリニックを受診して精密検査を受け、最終的には大学病院の検査入院を経て若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けました。
 当時、下の子はまだ小学生でした。子どもたちには迷惑や心配をかけたくないと思って必死で情報を集めました。そして「2年で寝たきり、10年で亡くなる」というインターネットの情報を目にし、愕然としました。区役所にも行ってみましたが、「40歳未満は介護保険が使えないから支援制度はなにもない」と言われ、まさに「早期絶望」でした。今から振り返ってみると、その時の自分はいわゆる「うつ」になっていたのだと思います。自分が独身だったら、仕事を辞めて家に引きこもっていたでしょう。でも、残される家族のことが心配で、妻が相談し頼ることのできる場所を求めて家族の会に行きました。

●当事者との出会いが力をくれた

 仙台の家族の会で、同じ若年性認知症の広島の当事者の方と出会いました。とにかく明るく元気な人で、私の方が若いのに「負けた」って思いましたね(笑)。この時、その方は診断から何年も経っていましたから、「『2年で寝たきり』は間違いだったんだ!」と安心すると同時に、私は彼を質問攻め(笑)にして、私が知りたかったことすべてに答えてもらいました。
 当事者の人との出会いは「自分だけじゃない」という安心感も与えてくれました。診断を受けてから周りの人たちは「頑張って」「大丈夫だよ」と声をかけてくれました。私を気遣ってのことでありがたいと思いましたが、その一方で「認知症になったことなんかないのに」という反発心も正直ありました。でも、同じ当事者から言われると心にスッと入ってきますし、文句も言えないんですよね(笑)。他にも鳥取県の当事者の方との出会いなど、私が元気になるための力はすべて当事者からもらいました。

● 自分も他の人に笑顔を伝えたい

 当初、不安が不安を呼んでさらに体調が悪化する悪循環に陥っていましたが、元気な当事者との出会いをきっかけに不安を乗り越えて前向きになることができました。「宮城の認知症をともに考える会」代表の山崎英樹先生は元気な私を見て不思議に思ったようで「なぜそんな笑顔になったの?」と聞かれました。当事者との出会いで元気をもらったことを伝えたら、「では、それを他の当事者にも伝えませんか?」ということになり、数多くの人たちに手伝ってもらってできたのが「おれんじドア」なんです。
 現在、毎月第4土曜日、東北福祉大前駅に直結した「ステーションカフェ」で相談会を開いています。毎回、当事者と家族を合わせて4〜5名ほどが参加されています。ここでは診断名や発症年齢などは聞きませんし、名前だってお呼びする時に困るから聞く程度です。診断を受けていなくても、不安がある方ならば誰でも参加していただけます。ここは当事者の居場所ではなく、来ていただいた方が安心し元気を取り戻して次の居場所につながるための「入り口=ドア」ですから、できるだけハードルを低くして、誰でも気軽に参加できるようにしています。

●不安を取り除けば「普通の人」に戻る

 実は、認知症と診断されると、多くの家族は「何もできない」「しゃべれない」と決めつけてしまいます。そう言われ続けると、当事者自身も自信を失って、しゃべれないと思い込んでしまう。私の経験を話しながら皆さんのお話を聞いていると、当事者だから共感できる部分があって「そうそう、私も同じ」と話が勝手に広がっていきます。相談会の途中では当事者と家族でテーブルを分けるのですが、「この人、しゃべりませんから」と言って連れて来られた当事者が笑って話しているのをみて、家族は皆さん驚きます。
 ただ、どうしても言葉が出にくい人もいますから、その時は待ってあげればいいんです。家族と一緒だと、待てずに「この人は○○です」と勝手に代弁してしまう。それが当事者の力を奪っていることに気がついていない。診断後、一度落ち込んで「認知症らしい人」になったとしても、不安を取り除けば「普通の人」に戻ります。だからこそ、当事者だけで気楽に話せる場所でないと意味がないんです。
 本人が「何をしたいか」「どこに行きたいか」、聞いてみて欲しいんです。テニスがしたい人にはテニスをしてもらえばいいし、編み物が好きな人には編み物を持っていって一日ゆっくり過ごせる場所を見つければ、無理やりデイサービスに行かせる必要はなくなります。必要なのは一人でも安心して過ごせる場所ですから、どこが居心地が良いか、ぜひ本人に聞いてみてください。また、おれんじドアには医師も看護師も、施設や地域包括の人も来ていて、みなさんそれぞれネットワークを持っています。ここでそういう人たちに出会うことも次の居場所探しに役立つと思います。

●家族にお願いしたいこと

 まず、当事者が「怒られない環境」を作って欲しいですね。本人は失敗したことをわかっています。ただ、何で失敗したかがわからない。たとえば、私は朝、コーヒーをいれます。カップを置いて、ちょっと別なことを考えると、誰がいれたコーヒーかわからなくなってしまう。妻に「コーヒーありがとう」と言うと、「いいよ。でも自分でいれたけどね」と笑ってくれる。ここで「何言っているの? 自分でいれたじゃない」と言われてしまったら、もう次の日からコーヒーをいれようとは思えません。ちょっとした一言ですが、そういう言葉が当事者を動けなくしてしまいます。怒られなければ、またいれようという気持ちになれる。

もの忘れ相談会終了後、スタッフとのミーティング

 そしてもう一つ、自立させることです。何でもしてあげるのではなく、本当にできないところを見極めてちょっとだけ手伝って欲しい。家族が元気になれない原因は当事者ですから、当事者が少しでも自立して前向きになれれば家族も元気になれるはずです。支援者には「サポーター」ではなく「パートナー」として、できないことをちょっとだけ手伝いながら、一緒に楽しんで欲しいですね。だから「認知症サポーター養成講座」も「認知症パートナー養成講座」に変えてもらえれば、友だち感覚で楽しみながら手伝ってくれる人を養成できるんじゃないでしょうか。

●これからのこと

 全国におれんじドアのような「入り口」が増えてくれればありがたいです。「居場所」は日本各地にたくさんありますが、入り口が見つからずに居場所につながれない当事者がたくさんいるからです。おれんじドアの活動を見て、やりたいと思う当事者をみんなで支える取り組みが広がっていって欲しいですね。ただし、大切なことは当事者が主体になることです。そうでないと、それ自体が居場所になってしまうからです。全国各地に入り口が増えて、元気な当事者が増えていくことを願っています。

●当事者へのメッセージ

 私は格好いいことは話せませんが、「認知症になっても笑顔になれるんだ」と思ってもらえるよう、講演などでは笑って話すようにしています。講演会ですぐに質問内容を忘れてしまっても、「すいません。忘れました。もう一度言ってください」と平気で言います。間違ったり、失敗したりするのが私にとっては当たり前ですから、「わからないから教えて」と笑顔で言える味方を増やす環境づくりが大切だと思っています。認知症だということを周囲に知られるのに不安を抱えている人は多いと思いますが、「偏見」は周囲にはほとんどなくて、実は自分と家族の心の中にあるんです。そうした偏見がなくなれば、安心して「認知症とともに、よく生きる」ことができるんじゃないかな。私はそう思っています。

「おれんじドア」のスタッフとともに
おれんじドアには医師(後列左から3 番目:石原哲郎先生)や
介護施設の方(後列左から4 番目:井上博文さん)など、
さまざまな専門職がスタッフとして参加しています